こんにちはpokkeです。
前回からかなり期間が空いてしまいました。
やっと気持ちが落ち着いてきたので
ブログに備忘録として書いておこうと思います。
母が亡くなりました。
昨年の春に階段から落ち、額を16針も縫い、肋骨3本にひびが入る大けがをして
介護認定は要介護5でした。
そのまま、寝たきりになるのではと覚悟していましたが、
母は奇跡の回復を見せ、一人でなんでも出来るようになってくれました。
あれから1年半、母は元気に一人暮らしを続けていましたが、
10月15日にお風呂の洗い場で倒れ、そのまま旅立ってしまいました。
60歳を過ぎたこの歳になっても、母の死は悲しくて辛くて・・・
涙が枯れるほど泣いたのに、こうやって書いていると
又涙があふれてしまいます。
ただ、母は自分の願った通りの最期をむかえたんだと思えるようになりました。
私が最後に母に会ったのは亡くなる前日です。
とても元気で、お昼には一緒に殻を剥いた銀杏入りの茶碗蒸しと、手作り餃子を私に作ってくれました。
それからスマホのラインの練習を二人でしました。
母はスマホを買ったばかりなので、ラインを読むことは出来るけれど
返信は出来ません。
そこで、文字入りのスタンプをプレゼントすると、すごく喜んでくれたんです。
次の日が仕事だったので、泊まらずに家に帰ってきて、ラインをしてみると
母はちゃんとスタンプで返信が出来るようになっていました。
亡くなった日のお昼ごろ、母から電話がありました。
普段は夜の8時くらいに電話をかけてくるので、お昼にかかってくるのは
珍しいんです。
仕事中だったのでお昼休みに折り返してみると
「スマホが使えるようになったのを孫にすごく褒められて嬉しかった!教えてくれてありがとう。もらった肌着のサイズがぴったりだったよ。ありがとう」と
何度もありがとうを繰り返す電話でした。
お昼休みだったのを母が気にして、「又夜に電話するね~」というのが母との最後の会話
夜に電話はかかってきませんでした・・・
亡くなる前日に母は私に「もういつ死んでもいいけど、痛いのだけはイヤなんだよね~」と話していました。
実は亡くなる一週間ほど前に、一度目の前が真っ暗になり意識を少し失うように寝てしまった事があったそうです。
心配した弟夫婦が嫌がる母を説得して病院へ連れていき、検査の結果は異常なしだったのですが、母は何かを感じていたのかもしれません。
この動画の中で母に編んでもらうキラキラのアクリルたわしを紹介していますが、
母はこのアクリルたわしを150個以上編んで、知り合いに配っていました。
「皆が喜んでくれるから嬉しい」と編み続けていましたが、
さすがに数が多いので、「これどうするの?」と私が聞くと
母は「私が死んだらお葬式で配ってね」と言うのです。
その時は、「はいはい」と聞き流していましたが・・・
今思うと、母らしい皆への最後のプレゼントでした。
(実際にお通夜やお葬式に来てくれた人たちにプレゼントしました)
(実はその数が最後にピッタリだったのにはちょっと鳥肌が)
検視の結果、母の死因は脳出血でした。
たぶん希望通り苦しまなかったのでしょう。
母の顔はどう見ても寝ているとしか思えない安らかな顔でした。
なんなら笑っている様にも見えました。
私は3日間母の横で、母にくっついて眠りましたが、母の顔が穏やかだったので
何も怖くなく、最後まで母に甘えさせてもらった感じです。
数年前から母は今が一番幸せだと言っていました。
生き甲斐が出来たとも・・・
母が登場するYouTube
実は母は私のYouTubeを観たくてスマホに変えたんですよ~
スマホを買うまでは弟のiPadで見せてもらっていたのですが、
どうしてもじっくり、好きなだけ私のYouTubeを観たかったようです。
82歳でスマホが扱えるか半信半疑でしたが、母はちゃんとYouTubeを見れるようになりました。
母は自分自身も手作りが大好きなので、
私のYouTubeをとても楽しみにしてくれていたんです。
「あそこがよかった!」とか
「あの情報をもっと早く知っていればよかったな~」とか
「みんなそんな事も知らないんだね~」とか
最近は電話での会話もYouTubeの話題がほとんどでした。
40代の頃の母
私が20歳の頃に急に居酒屋を始めました!(かなりびっくりした!)
70代まで居酒屋を続けていたんですよ~
母が亡くなった後、弟と写真を整理していると
笑顔の母をたくさん見つける事が出来ました。
母の笑顔を見ると、母の人生は幸せだったんだな~と安心出来ました。
私は子供の頃から母の死が世の中で一番怖い事でした。
そんな怖がりで泣き虫な私のために
母は一年半前の事故の時から時間をかけて
ゆっくりとお別れをしてくれたのかもしれません。
お母さん、ありがとう
またいつか生まれ変わる時もお母さんの娘にしてね♪