手作りとシンプル生活

手芸店で働きながら手作り生活を楽しんでいます

バカボンのパパが父のスタイル

こんにちはpokkeです。

 

今週のお題「お父さん」について今回は書いてみようと思います。

 

6月9日のガイアの夜明けで放送されたのは

「全ての人に自分らしい最期を~コロナで変わるニッポン人の死生観」でした。

 

”自宅で最期まで自分らしく生きたい”と希望する人々とそれを叶えようとする看取りのプロのお話

 

番組を観ながら涙が止まりませんでした。

 

それは3年前に亡くなった父の事を思い出したから。

 

バカボンのパパが父のスタイル 

私の父は職人だったので、それはそれは頑固で一本気な人でした。

 

父のファッションスタイルはバカボンのパパそのもの

 

頭にはハチマキ、腹巻に雪駄履きが定番スタイルです!

 

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周りのサラリーマンのお父さんとは一味も二味も違っていますよ~ (^-^;

 

そしてある時は星飛雄馬のお父さん星一徹のようにちゃぶ台返しも!

 

弟とは何度も取っ組み合いの喧嘩をしてましたね~

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夜中に爆音で走り回る暴走族に、わざわざ道路まで出て行って説教するような

なかなかワイルドな父でした!

 

ワイルドな父でしたが、動物や子供が大好きで、私が子供の頃は家に犬や猫、ウサギに金魚、など動物がたくさんいました。

 

夏になるとカブトムシをたくさん採ってきて、近所の子供に配ったり、お正月には手作り凧をこれまた近所の子供たちに作ってあげていました。

 

私はそんな父の強烈キャラがちょっと苦手でしたが、父の事を孫たちは大好き!

 

私にとってはかなり恥ずかしかった父のファッション(?)も

私の子供たちにはなぜかカッコいいとウケていましたし、

夏休みやお正月に私の実家で父と遊ぶのをすごく楽しみにしていました。

 

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私の息子をおんぶして、弟の娘を抱っこして、ご満悦の父

 

父も孫たちが大好きでした。

 

この日も腹巻ファッションです!

 

父との喧嘩の思い出

最近、思い出すのは15年ほど前の父との喧嘩です。

 

ケンカの発端はささいなこと

 

私が伊勢神宮の旅行の帰りにお土産をもって実家に寄った時のこと

 

お土産の「赤福」を渡すとなぜか「これは最低の土産だ!」と一言

 

甘いものが好きな父のために買って行ったのになぜかいきなり「最低だ」と言われて

 

私は一気にヒートアップ

 

「何なのその態度」「じゃあ、食べなくていいよ!」と・・・

 

そこから大ゲンカに発展  しかも、まさかの大人同士 (>_<)

 

私は泣きながらの大ゲンカ、でも、喧嘩しているうちに・・・

 

あまりのくだらなさに途中からだんだん可笑しくなって、泣きながら大笑い!

 

その後、どちらともなく仲直りしようとしたのかなぜか二人で酒盛りを始めました。

 

家中にあるお酒を二人で飲んでしまって私はベロベロ

 

それでも「もっと飲もう!」と近所のコンビニへ父を無理やり誘い

 

「好きなもの、好きなだけ買ってあげるから何でも持ってこーい!」と酔っぱらいの私

 

いつもはワイルドなキャラの父が「俺が今度この店に来る時に恥ずかしいだろ~」と小さい声で囁きました。

  

 

父の闘病

父が亡くなったのは3年前です。

 

85歳の時でした。

 

亡くなる半年ほど前から脳の障害により、急激に体力が落ちて認知機能もあやしくなり、そのうち起き上がることができなくなりました。

 

そんな時私たちが選んだのは在宅医療でした。

 

近所にたまたま在宅で診てくださる診療所があり、そちらの訪問診療を受けることに。

 

ワイルドキャラの父でしたが、人一倍寂しがり屋だったので入院させる選択肢は考えませんでした。

 

痛みを訴えることも、苦しがることもなかった事が在宅診療を選択できた大きな理由でもあります。

 

ヘルパーさんやケアマネさん、看護師さんやお医者様には本当に親身になっていただきました。

 

認知機能が衰えてきた父は私の向かって

 

「誰?」「みーちゃん?」と聞きます。

 

「いやいや、みーちゃんは猫だから!」

 

猫のみーちゃんの名前は覚えているけど、娘のことは忘れちゃったのがちょっと切ない

 

でも、父が亡くなった後、この猫と間違われたネタは「ちょっと切ない面白ネタ」として使っているので、父からの素敵なプレゼントだと思うようになりました。

 

  

みーちゃんの事と父の思い出はこの記事でも書いています。

www.blog-pokke.xyz

 

 

父の亡くなった時の事 

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この写真の日は子供や孫、ひ孫たちまで全員そろって大宴会をしました。

 

写真に写っているのは私と私の孫、父にとってはひ孫が小さな手で父の手を握っています。

 

笑顔のスタンプを貼りましたが、実際の写真でも3人とも笑顔なんですよ~(*^^)v

 

この写真を撮って大宴会をした一週間後の朝、母がベランダで洗濯物を干していたほんの10分の間に父は旅立ちました。

 

「お父さんの最期を見るのが怖い」とずっと怖がっていた母の言葉をきっと聞いていて、母がいない間に眠るように静かに旅立ったのだと思います。

 

亡くなる前の3か月間、私が遠距離介護をさせてもらえたことも今から思うと、

とてもありがたいことでした。

 

それまで親孝行なんて何も出来なかったけど、この3ヵ月は「少しは親孝行が出来たかな~」という満足感を私には残してくれました。

 

自分らしく最期は自宅で迎えたいと願う人が多いけれど、実際には病院で亡くなる方が多い今の時代、このような最期を迎えられた父は恵まれていたのだな~と思います。

 

今週のお題で、父の事を改めて思い出すことが出来ました。ありがとうございました。